こんにちは!B.すずめです。
マツダ株式会社の
創業100周年を記念して、
勝手に表彰状を書いちゃいました。
その表彰状の画像も
無料でダウンロードできますので、
個人でお楽しみください。
ってことで、
自動車メーカーのマツダ株式会社は、
2020年1月30日に、
創業100周年を迎えました!
いやーめでたいことです。
1つの企業が100年も続く確率って
どれくらいなんでしょうね?
国税庁がまとめたデータによると・・・
5年続く確率は、15%で、
30年以上続く確率は、0.021%とか・・・
30年以上でも、
0.03%以下という恐ろしい確率に!
ってことは、
企業が100年続く確率って・・・
無理じゃん!
それぐらいスゴイことなんだ
ということがわかったので、
表彰状を贈りたくなりました。
↓
マツダ2〔MAZDA 2〕の外観(エクステリア)写真を詳細(マニアック)に116枚撮りました!ブログ。
↓
MAZDA3(マツダ3)ファストバックのホワイト(白)フロントの詳細でマニアックな写真蔵ブログ
- マツダ株式会社に創業100周年の表彰状を贈る
- MAZDA株式会社〔創業100周年〕の略歴
- 第1章 会社創立 ~ コルクから機械事業への転換
- 第2章 戦後復興 ~ 三輪トラックの量産体制構築
- 第3章 乗用車市場に進出 ~ 総合自動車メーカーへ
- 第4章 石油危機下の経営危機 ~ 企業体質の改善
- 第5章 フォード社との資本提携 ~ 国際的ビジネスの推進
- 第6章 積極的な技術開発 ~ 国内販売チャネルの拡大
- 第7章 バブル崩壊後の経営危機 ~ フォード社との協調による再出発
- 第8章 新ブランド戦略の策定 ~ 商品主導の成長
- 第9章 SKYACTIV技術への挑戦 ~ グローバル生産体制の再構築
- 第10章 地球・社会・人 との共存を目指し、大きな変革期へ
- マツダ株式会社〔創業100周年〕の間に生まれた名車
- まとめ
マツダ株式会社に創業100周年の表彰状を贈る
そこで書いたの表彰状がこれ
↓
大好きな、マツダ株式会社が
創業100周年ということで、
精魂込めて書きました。
マツダらしく、超個性的来な表彰状です。
感性が強すぎて
読みにくいかもしれませんが、
こう書いています。
表彰状
創業100周年賞
マツダ株式会社殿
貴社は100年にわたり真の車好きとして
走る歓びの創造に尽力し
その発展に貢献するところ
誠に大なるものがありました
ここにその栄誉を称え
表彰すると共に
今後の活躍に
超期待します
あなたもこの記事を読んでくれている
ということは、
マツダが大好きなんですよね?
その気持ちに同士として
歓びを分かち合ってほしいので、
表彰状の画像を無料で
ダウンロードできるようにしました!
↓
どうぞ、個人でお楽しみください。
壁紙にしたり、
プリントして額に入れたり、
いろいろ楽しみ方は自由です!
MAZDA株式会社〔創業100周年〕の略歴
マツダ株式会社の創業100周年、
特設サイトもありますが
⇒ https://www2.mazda.com/ja/100th/
ボリュームがデカくて
なかなか見る気がしない・・・
と思ってしまったのは、
僕だけじゃ無いはず。
そこで、創業100年の間に
なにがあったのか?
軽く知っておきたいと思ったので、
主要な出来事をまとめてみました!
第1章 会社創立 ~ コルクから機械事業への転換
1920年 1月
東洋コルク工業株式会社として創立
はじめはコルクを作る会社から
始まったんですね!
今では全く想像もできない。
ここから考えると、
変化できる会社だからこそ
100年続いているんだなって思います。
1925年 12月
工場火災により工場設備の70%余りを焼失
操業停止に・・・
ええ!
これは厳しいですね~
たったの5年でこんな大事件があったなんて。
よく乗り越えられたなぁ。
すごい!
1927年 9月
東洋工業株式会社に社名を変更
1928年 7月
シンボルマークを商標登録
ああ、なんか見たことある!
シンボルマークって大事ですよね。
会社の顔ですもんね。
でも、まだこの時のは
あまり個性的じゃない感じですね。
1931年10月
三輪トラック
「マツダ号」(DA型)の生産を開始
1934年 3月
“Mazda”を商標登録
おーここで「Mazda」来た!
ここから乗りに乗ってくるんですね~!
1937年 12月
三八式歩兵銃および九二式騎兵銃の
部品生産開始
1944年 1月
兵器および工作機械部門、
陸・海・軍需各大臣より軍需会社に
指定される
物騒な時代ですよね。
本当はこんなの
作りたくなかったんだろうなぁ
生きるためですね。
1945年 8月
原子爆弾により広島市内で
建物疎開作業中の従業員約200名が被爆
くそーやるせなんですね。
しかも「建物疎開作業」って、
空襲によって起こる
火事の飛び火を防ぐために
建物を壊して空間をつくるって
作業だそうですよ。
まったく無駄作業ですよね。
雪かきと一緒。
安全のためにやらないといけないけど
やりたくないこと。
もう戦争はやめてほしい。
第2章 戦後復興 ~ 三輪トラックの量産体制構築
1948年 11月
三輪トラック月産500台を達成
1951年 1月
商標を変更
すごい昔!って感じのロゴと雰囲気。
今見るとレトロで新鮮でおしゃれに見える。
1954年 4月
第1回全日本自動車ショウに出品
1958年 4月
小型四輪トラック「ロンパー」を発売
1959年 7月
「m」を図案化した新マークを採用
おーこれは有名ですね。
よく見ます。
なんだか丸みがあってカワイイ印象ですね。
第3章 乗用車市場に進出 ~ 総合自動車メーカーへ
1960年 5月
軽乗用車「R360クーペ」を発売
レトロだー
レトロ。
バンパーがシルバーの
ザ・バンパーって感じのバンパー
久しぶりに見た。
1962年 2月
軽乗用車「キャロル」を発売
キャロル!
こんな昔からあったんか~
1964年 9月
第11回東京モーターショーに
ロータリーエンジン搭載スポーツカー
「コスモ」を参考出品
でたロータリーエンジン!
マツダの自慢。
広島の自慢。
世界に誇れる日本の自慢です。
1964年 10月
小型乗用車「ファミリア800セダン」を発売
日本初の完全自走方式を採用した
マツダ専用船「東洋丸」が就航
ファミリアもこのころから!
長生きしたね~
1965年 5月
三次自動車試験場の竣工式を実施
1966年 8月
小型乗用車「ルーチェ」を発売
1967年 5月
ロータリーエンジン搭載車
「コスモスポーツ」を発売
1967年 11月
2代目「ファミリア」を発売
1968年 7月
ロータリーエンジン搭載車の第二弾として
「ファミリアロータリークーペ」を発売
1969年 10月
ロータリーエンジン搭載の最上級車
「ルーチェロータリークーペ」を発売
このころはロータリーエンジン搭載車が
沢山出たんですね。
ロータリーエンジンだけは、
絶やさず開発を続けてほしい。
1970年 5月
小型乗用車「カペラ」シリーズを発売
1971年 9月
小型乗用車「サバンナ」を発売
第4章 石油危機下の経営危機 ~ 企業体質の改善
1974年 2月
2代目「カペラ」を発売
1975年 4月
CIシステムの導入を開始、
企業シンボルを採用
おー!
僕が生まれた1975年に
このシンボルになったんか!
運命的じゃわ~
1976年 5月
JAFグランプリでの優勝で
サバンナが国内レース通算100勝を達成
1978年 3月
小型スペシャルティカー
「サバンナRX-7」を発売
でたーサバンナRX-7。
昔、お父ちゃんが
「マツダで一番早いのはサバンナじゃ」って
言ってました。
1978年 10月
3代目「カペラ」を発売
第5章 フォード社との資本提携 ~ 国際的ビジネスの推進
1979年 2月
デイトナ24時間レースで
「サバンナRX-7」がGTUクラス優勝
1979年 11月
フォード社と資本提携(持ち株比率25%)
このころからフォードの血が
通っとったんか。
1980年 6月
5代目「ファミリア」を発売
1980年 12月
「ファミリア」が
「1980-1981日本カー・オブ・ザ・イヤー」
を受賞
マツダはよく賞をとりますよね。
そこがまた、ファンとしては自慢です。
1981年 7月
スパ・フランコルシャン24時間レースで
「サバンナRX-7」が日本車初の総合優勝
1981年 9月
3代目「コスモ」を発売
1981年 9月
4代目「ルーチェ」を発売
1982年 6月
ル・マン24時間レースで
「マツダRX-7 254」が総合14位で初完走
1982年 9月
防府工場(西浦地区)が本格操業を開始
1982年 12月
「カペラ/テルスター」が
「1982-1983日本カー・オブ・ザ・イヤー」
を受賞
1983年 12月
新しい経営理念を制定、
「マツダは新しい価値を創造し
人びとの喜びをひろげます」
今も、その理念は引き継がれていますね。
次は何をしてくれるのか。
楽しみな会社です。
1984年 5月
マツダ株式会社へ社名を変更
第6章 積極的な技術開発 ~ 国内販売チャネルの拡大
1985年 1月
6代目「ファミリア」を発売
1985年 5月
三次自動車試験場に総合性能試験路を新設
1985年 10月
2代目「サバンナRX-7」を発売
「ファミリア」に日本初の
フルタイム4WD車を追加
1986年 2月
フォード「フェスティバ」を発売
フェスティバ!
この車も結構衝撃的にいい感じの車でしたね。
今考えると
デミオの前身ともいえるのかなぁ。
1987年 2月
WRC第2戦・スウェディッシュラリーで
ファミリア4WDが日本車初の総合優勝
1987年 3月
P.W.S.(プレッシャー・ウェーブ・
スーパーチャージャー)付
ディーゼルエンジンの開発に成功
1987年 5月
5代目「カペラ」を発売、
世界初の車速感応型4WSを採用
1988年 5月
MI(マツダ・イノベーション)計画が
スタート
鈴木自動車工業㈱と
軽自動車の生産協力で基本合意
お。
スズキと軽自動車生産協力っての
やってたんですね。
へー知らなかった。
1989年 4月
新しい国内販売チャネル「ユーノス」及び
「オートザム」の各統括会社を設立
1989年 9月
ライトウェイトスポーツカー
「ユーノスロードスター」を発売
でましたロードスター!
これもマツダの代名詞。
一度は所有したいなぁ。
1989年 11月
小型乗用車
「ユーノス100」「ユーノス300」を発売
2代目「キャロル」を発売、
軽乗用車市場に再参入
軽自動車市場に参入できたのも
スズキとの協力があったからなんですね!
1990年 4月
4代目「ユーノスコスモ」を発売、
新開発の3ローター・ロータリーエンジンを
搭載
1990年 9月
米国IMSAシリーズで
「サバンナRX-7」が史上初の
単一車種100勝を達成
へぇ~「サバンナRX-7」って
本当にすごい車だったんですね~
お父ちゃんが
「マツダで一番早い」っていうわけじゃ。
1991年 5月
普通乗用車「センティア」を発売
1991年 6月
小型乗用車「ユーノス・プレッソ」を発売
量産世界初の1800ccV6エンジンを搭載
第59回ル・マン24時間レースで
「マツダ787B」が日本車初の総合優勝
きた!
伝説の「マツダ787B」
かっこよかったなぁこの車。
子供のころ
広島の工場で爆音で走ったのみましたよ。
あ~あの体験を今したかった。。。
1991年 11月
国内販売チャネル「マツダオート」の名称を
「アンフィニ」に変更
1991年 12月
3代目「アンフィニRX-7」を発売
「アンフィニRX-7」が
「RJCニューカーオブザイヤー」を受賞
やばいくらいかっこいい
「アンフィニRX-7」
1991年か~
1992年 10月
軽乗用車「AZ-1」を発売
うおー!
「AZ-1」お前もこの頃か!
第7章 バブル崩壊後の経営危機 ~ フォード社との協調による再出発
1993年 9月
小型乗用車「ランティス」を発売
「ランティス」これも
独特なデザインでしたよね~
今でもマニアの間では
根強い人気があるようです。
1993年 10月
普通乗用車「ユーノス800」を発売、
世界初のミラーサイクルエンジンを搭載
1994年 4月
バサースト12時間耐久レースで
「アンフィニRX-7」が3年連続の総合優勝
1994年 5月
企業見学施設
「マツダミュージアム」をオープン
1994年 9月
軽乗用車「AZ-ワゴン」を発売、
スズキ㈱からのOEM供給車
おー!
このころからスズキのOEMが始まったんか!
おかげでマツダでいろんな
軽が買えるようになったんですね。
1995年 5月
水素ロータリーエンジン車が
運輸大臣認定を受け公道走行を開始
1996年 4月
国内販売チャネル「アンフィニ」の名称を
「マツダアンフィニ」に変更
「ユーノス」店を「マツダアンフィニ」店も
しくは「マツダ店」に統合
インターネットにホームページを開設
1996年 5月
フォード社の持ち株比率を
25%から33.4%に引き上げ
1996年 8月
ブランドイメージ向上を目的に
「That’s MAZDA」キャンペーンをスタート
小型乗用車「デミオ」を発売
1996年 11月
「デミオ/フェスティバミニワゴン」が
「’96-’97RJCニューカーオブザイヤー」を
受賞
ああ!
やっぱりフェスティバがデミオに
なり替わったって感じなんですね!
1997年 6月
新しいブランドシンボルを制定
ここか~
ここで今のマークになったんですね~
まだ新しいなぁ
1998年 1月
2代目「ロードスター」を発売
1998年 4月
国内販売チャネル「オートザム」の名称を
「マツダオートザム」へ変更
1998年 10月
4代目「キャロル」を発売、
スズキ㈱からのOEM供給車に
軽乗用車「AZ-オフロード」を発売
1999年 4月
ブランドメッセージを
「心を動かす新発想」へ
1999年 10月
第36回東京モーターショーに
コンセプトカー「RX-EVOLV」を出品
1999年 12月
11代目社長にマーク フィールズが就任
2000年 7月
「ロードスター」が”世界で
最も多く生産された
2人乗り小型オープンスポーツカー”として
ギネスに認定
第8章 新ブランド戦略の策定 ~ 商品主導の成長
2001年 5月
走行性能を高めた
「マツダスピード ロードスター」
「マツダスピードファミリア」を限定発売
マツダスピード!
今はなくなりましたよね?
特別な感じがして好きだったなぁ
2002年 4月
新ブランドメッセージ「Zoom-Zoom」を
国内で本格展開
このころから飛躍的に
ブランド戦略が進んだ気がします。
歌もあったんですよね。
マツダの電話保留音がこの歌で、
聞き惚れてました^^
2002年 5月
新型ミッドサイズカー「アテンザ」を発売
2002年 11月
「アテンザ」が
「2003RJCカーオブザイヤー」を受賞
2003年 4月
4ドア・4シーターのスポーツカー
「RX-8」を発売
2003年 6月
新世代ロータリーエンジン
「RENESIS」が「インターナショナル・
エンジン・オブ・ザ・イヤー2003」を受賞
2003年 10月
次世代スポーツコンパクト「アクセラ」を
発売
2003年 11月
「RX-8」が
「2004RJCカーオブザイヤー」を受賞
2005年 11月
「ロードスター」が
「2005-2006 日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞
2006年 2月
水素ロータリーエンジン車
「RX-8ハイドロジェンRE」 の
リース販売を開始
2006年 8月
「アクセラ」の国内生産累計台数が
100万台に、3年2ヶ月での到達は
マツダ車で最速
2007年 3月
新中期計画
「マツダ アドバンスメント プラン」を
策定
技術開発の長期ビジョン
「サステイナブル”Zoom-Zoom”宣言」を発表
2007年 11月
「デミオ」が
「2008年次RJCカーオブザイヤー」を受賞
2008年 1月
「CX-9」が
「2008 North American Truck of the Year」を
受賞
2008年 3月
「Mazda2(デミオ)」が
「2008世界カー・オブ・ザ・イヤー
(WCOTY)」を受賞
この頃のデミオは元気でしたよね~
このころからマツダのデザインは
一線を画したものになっていった印象です。
2008年 12月
新広島市民球場の命名権契約を締結し
「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」に
いやいやいやいや、まさかですよ。
まさかのスタジアム名に
「MAZDA」が付くなんて
夢にも思いませんでした。
かっこいいことするなぁMAZDA。
第9章 SKYACTIV技術への挑戦 ~ グローバル生産体制の再構築
2009年 3月
「プレマシー ハイドロジェン
REハイブリッド」のリース販売を開始
2009年 6月
2代目「アクセラ」を発売、
先進のアイドリングストップ機構
「i-stop」を採用
おー「i-stop」
これも画期的でしたよね~
MAZDAファンとして自慢でした。
2010年 3月
トヨタ自動車㈱と
ハイブリッド技術ライセンスの供与で合意
え、10年も前のことだったの?
しかし、衝撃的な事件でしたね。
まさかトヨタと!って思いました。
2010年 9月
デザインテーマ“魂動 -Soul of Motion”と
デザインコンセプトカー
「マツダ靭(SHINARI)」を発表
もう、ファンの心を離さない。
いい意味で裏切る。
尖がったMAZDA。
最高ですよね。
2010年 10月
次世代技術「SKYACTIV」を発表
2011年 6月
「マツダ787B」がル・マン優勝から
20年ぶりにサルトサーキットをデモ走行
2012年 2月
クロスオーバーSUV「CX-5」を発売、
新世代「SKYACTIV技術」と
新デザインテーマ「魂動」を全面採用
きた!
「魂動」デザイン。
「SKYACTIV技術」と「魂動」デザインが
同じ時期に展開されたのは、
偶然だと聞いたことがあります。
でも良かったですよね。
どちらか一方だけでは、あまりインパクトが
なかったと思うので。
「SKYACTIV技術」だけでは、
乗ってみないと変わったことが分からないし
「魂動」デザインだけでも
「え?でも結局中身一緒なんでしょ?」
ってちょっと冷めた感じになるところだった
と思います。
2012年 10月
電気自動車
「デミオEV」のリース販売を開始
2012年 11月
3代目「アテンザ」を発売、
先進安全技術「i-ACTIVSENSE」を初搭載
「CX-5」が
「2012-2013 日本カー・オブ・ザ・イヤー」
を受賞
アテンザが「魂動」デザインに!
CX-5は当然のごとく賞を取りましたね!
なんかもう賞をとっても
新鮮味がなくなってきました。
何がどんな賞なのかも
わからない。。。^^;
2013年 1月
フィアット社とオープン2シーター
スポーツカー生産に向けた事業契約を締結
こーれがまた衝撃的な事件でしたよね。
「えー!まさかー!」って
心の中で思いました。
っと同時にフィアット版
ロードスターがどんなデザインになるのか
楽しみで仕方なかったですね。
2013年 11月
「アテンザ」が
「2014年次RJCカーオブザイヤー」を受賞
3代目「アクセラ」を発売、
「SKYACIV-HYBRID」を初採用
2014年 7月
新しいコンセプトの販売店
「新世代店舗」の展開を発表
店構えから変えるって。
ブランディングって本当に時間と
お金がかかるなぁって思った次第です。
2014年 10月
「デミオ」が
「2014-2015 日本カー・オブ・ザ・イヤー」
を受賞
2015年 5月
トヨタ自動車㈱と業務提携に向けて基本合意
2015年 10月
第44回東京モーターショーで
コンセプトモデル「Mazda RX-VISION」を
世界初公開
2015年 12月
「ロードスター」が
「2015-2016 日本カー・オブ・ザ・イヤー」
を受賞
え?
2年連続?
すごいじゃんMAZDA!
気になって見返してみると、
第1回はファミリアだったんですね!
すばらしいなマツダさん。
第10章 地球・社会・人 との共存を目指し、大きな変革期へ
2016年 3月
「ロードスター」が2016年
「ワールド・カー・オブ・ザ・イヤー
(WCOTY)」と
「ワールド・カー・デザイン・
オブ・ザ・イヤー(WCDOTY)」を
ダブル受賞
よし!
2016年 7月
新世代車両運動制御技術
「SKYACTIV-VEHICLE DYNAMICS」を発表
2017年 8月
トヨタ自動車㈱と業務資本提携に関する
合意書を締結
技術開発の長期ビジョン
「サステイナブル”Zoom-Zoom”宣言2030」
を発表
縮着火の次世代ガソリンエンジン
「SKYACTIV-X」を発表
2017年 9月
㈱デンソー、トヨタ自動車㈱と
電気自動車の共同技術開発契約を締結、
新会社の設立を発表
え!?
そうだったんですね!
これは期待です!
2017年 10月
第45回東京モーターショーで
次世代デザインビジョンモデル
「マツダVISION COUPE」を世界初公開
2018年 3月
トヨタ自動車㈱との米国生産に向けた
合弁新会社「MTMUS」を設立
2019年 5月
新型「MAZDA3」を発売、
新世代車両構造技術
「SKYACTIV-VEHICLE ARCHITECTURE」
を搭載
2019年 8月
国内の「アテンザ」を
「MAZDA6」に車名変更
2019年 9月
国内の「デミオ」を
「MAZDA2」に車名変更
2019年 10月
クロスオーバーSUV「CX-30」を発売
第46回東京モーターショーで
初の量産EV「マツダMX-30」を世界初公開
2020年 1月
1月30日の創立記念日で100周年を迎える
ふう。
気になったところだけ
抜粋しても、このボリューム。
さすが創業100年。
マツダ株式会社〔創業100周年〕の間に生まれた名車
RX-7
僕的にはこれに限る。
今新車ででたとしても、新鮮。
この流線美。
たまんねぇなぁ。
完全にスポーツカーって感じの
オーラが凄まじい。
そしてこの美貌を持ちながら、
ロータリーエンジンを積んでるっていう
ダブルパンチ!
脱いでもすごいのよ。
そんな車です。
今でも時々、綺麗なセブンを見ます。
ついつい、じーっと見つめちゃいますよね。
ちゃんと塗装も塗り替えて綺麗なままの
RX-7を見ると
愛を感じますね。
まとめ
マツダ株式会社の創業100周年を記念して
勝手に表彰状を作っちゃいまして、
いろいろ振り返ることができて
よかったです。
会社に歴史あり。
100年掛けて積み上げてきた
このブランドを絶対に絶やすことなく
永遠に育てていってほしいですね。
きっとマツダは、
これから数年の間に
大躍進する。
そう思うと
ワクワクします。
自動運転になっても、
マツダ車は、
マツダ車だけは、
絶対に「走る歓び」を忘れない。
そう期待しています。
最後まで読んでいただいて、
ありがとうございました。
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